Ai Yamada「女子プレーヤーが海外へ挑戦できる道を切り拓いていきたい」

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今回、12月12日にアメリカ合衆国のラスベガスで開催されるOverseas Combine(海外から数々のエージェントやスカウト、プロのコーチが直接選手を評価できる場所)に参加する山田愛さんにインタビューをさせていただきました。高校バスケットボール界の名門・桜花学園では高校三冠を達成し、卒業後はJX-ENEOSサンフラワーズへ進みプロバスケットボール選手として活躍。その後実業団を引退、小さいころからの夢であったバスケットボールで海外挑戦を強く決意し、オーストラリアでオープントライアウトに参加。その結果、プロチームAlbury Wodonga Bandits(オーブリー・ワドンガ・バンディッツ)のロスターを勝ち取り契約締結に至りますが、コロナの影響によりシーズンが中止。帰国せざるを得ない状況になりました。帰国後はバスケットボールだけでなくアートやデザインなど、多方面で活躍されながら、海外の舞台で活躍する夢を胸に秘め毎日奮闘する山田選手に今回のコンバインへの意気込み、オーストラリアでの貴重な経験、そして今後の女子バスケット界についてをお聞きしました。

バスケットボールを始めたきっかけを教えてください。

小学3年生で転校を機に兄がバスケットボールを始め、「ずるい!わたしも入りたい!」と親に頼み小学校のスポーツ少年団に入ったのがきっかけです。小中学生の時は地元のチームで基礎基本やバスケットへの取り組み方などたくさんのことを教えていただき、その経験が今に繋がっています。練習が終わってからも家に帰って自主練。人一倍やる、ハードワークをするようになったのもこの頃からです。


実業団を退団後、次のステージを海外(オーストラリア)に選んだ理由を教えてください。

海外に興味を持ったのは16歳。アンダーカテゴリーの日本代表の一員として初めて世界に出てプレーをしました。その際、生活習慣・文化の違いやバスケットスタイルの違いを肌で体験し、「おもしろい!世界の色んな場所でバスケットをやりたい!」と強く思いました。その時からずっと海外でプレーすることが夢でした。高校卒業後、実業団に入団。夢を叶える為には世界に挑戦し自分でアピールしていかないとチャンスはないと感じ、本場のワークアウトをするため自ら渡米するなど、アクティブに行動するようになりました。Wリーグ最後の年、夢への準備をする為最高のシーズンにしたく夏にハードワークをしコンディションを整えましたが、リーグ開幕直前に3度目となる前十字靭帯を断裂。「次のステージに進もう」そう思い退団、海外挑戦に集中できる環境を選びました。英語圏でバスケット、海、アート、コーヒーなど自分の興味のあることが揃っているオーストラリアを選択しました。

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海外でバスケットボールをしてみての率直な感想はどうでしたか?

率直におもしろい!と思いました。毎年海外からインポートでたくさんの選手がプレーしにきています。その為、選手やエージェントの出入りが頻繁で、世界との繋がりやチャンスにもとても恵まれていて、人との出会いから生まれる新しい可能性を感じました。オーストラリアはWNBL1とWNBLが一年の前半と後半というように時期がずれています。その為、国内で一年中プレーすることができます。またトップ選手はオフシーズンにアメリカやヨーロッパでプレーし、シーズンに合わせてオーストラリアに帰ってくる。WNBA選手もたくさん国内リーグでプレーしておりとても魅力を感じました。

オーストラリアのチーム、オーブリー・ワドンガ・バンディッツと契約に至った経緯を教えてください。

元々はメルボルンの別のチームでプレーする予定でしたが、縁がありメルボルンから車で3時間ほど北に位置するAlburyのチームと契約することになりました。メルボルンのチームのトライアウトで一緒になった選手が元NBA選手で現在コーチとして活躍をしている方のスキルトレーニングを紹介してくれて、そのコーチの方がAlburyのチームに私を紹介してくれました。メルボルンの2つのチームのトライアウトに参加しましたが、Alburyの契約条件やコーチの人柄、そしてここで出会えた人との繋がりを大事にしたくAlburyに決めました。パンデミックの影響でシーズンが中止になってしまった為このチームで公式戦を1試合もできなかったのがとても残念です。

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コミュニケーションや文化の違いはどのようにして乗り越えましたか?また、プレー中に心掛けていることはなんですか?

渡豪当初はアメリカに何度も行っていたので英語は少しはできると思っていましたが、実際は全く話すことができず、もどかしさや恥ずかしい思いをたくさん経験しました。ホストファミリーや本場のバスケ仲間と一緒にいるうちに実際の生活で使う英語を場面ごとに理解し、少しずつ話せるようになりました。プレー中は自分の意志を素早く仲間に伝えられるように、単語でのコミュニケーションで仲間の信頼を得るため努力しました。コーチやチームメイトも外国人選手である私を理解してくれていたので、プレーの組み立てや言いたい事を汲み取って助けてくれました。そういう面でとても恵まれていたと思います。オーストラリアでは全てが一からのスタートだったので、言語もキャリアもどんな場面でも周りの方に助けられてここまで来ました。全てのつながりにとても感謝していて、私にとってオーストラリアは特別な場所です。

過去3回の前十字靭帯断裂を経験し、現在のコンディションはどうですか?

コンディションは良好です。傷みや不調もありますがその都度乗り越えてきています。怪我をしてから体の使い方やプレースタイルについて深く考えるようになったせいか、体格の改善やできるプレーの幅が広がりました。マインドセットやバスケットスキル、ボディコントロールなど常に人に会いに行き学ぶ姿勢を心がけています。日本のバスケは基本に忠実なプレーが多いですけど最近はそれに加えて私自身新しいバスケの要素を取り入れておもしろいプレーもできるようにしていて。頭と体を一致させ更なる高いレベルのバスケットをできるよう日々努力しています。

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今回のコンバインへの意気込みと今後の展望を教えてください。

プレー面では1番と2番ポジションをうまく使い分けて、3Pを積極的に打っていきたいと思います。1番でプレーする場合はボールにこだわらず柔軟にプレーしていきたいです。あと周りは大きい選手が多いと思うので、ステップワークやフェイクで相手を交わし、的確な状況判断でプレーすることをアピールポイントにしていきたいです。また、ルーズボールと積極的なプレーは常に心がけ、頭は常に冷静に動きはアグレッシブに。自分の特徴を理解し何で乗っていけるか、落ち着いて自分のリズムでプレーすることに焦点を置いてプレーしていきたいです。その結果、今回の目標である海外チームとの契約に繋げられたらいいなと思います。日本の皆さんにも観てもらえる良い機会になると思うので、わたしのプレーを観てもらうだけでなく、女子プレーヤーが世界に出ていく、そして先駆者として海外挑戦ができる道を拓いていけるようしっかりやっていきたいです。


今後の日本女子バスケット界について思うことはなんですか?

私自身、オーストラリアでバスケをして沢山の方との素晴らしい出会いがありました。日本のスタイルとは異なるバスケットボールに実際に肌で触れてそこから学んだことは多々あり、その経験が今のプレーにつながっています。これらの経験はオーストラリアに来ていなかったら味わえなかった貴重な体験でした。現実的に見ても男子バスケに比べると女子が海外で挑戦することはまだ珍しいことだと思います。でも性別関係なく、挑戦することは自由であり、頑張り次第で誰にでもチャンスが巡ってくると私は思っていて。国境を越えて好きな場所でバスケットボールができる環境があったり、バスケットボールを通して世界中の同じ情熱を持った人たちとつながり挑戦する機会が増えたり、プロの世界ではプロ意識がもてるような環境の変化などと共に、女子バスケが今より更に盛り上がっていけるようになれば嬉しいです。女子バスケットボールが皆様、そしてバスケットプレーヤーから愛され続けるものであればとても素敵です。

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今後海外を目指すことを考えている人たちへエールをお願いします。

自分の心の底から思うやりたいことをやりましょう、そして行きたいところへ行きましょう。そこから新しい道が切り拓けたり、新しい出会いがあったり、今まで以上にバスケットボールに限らず自分自身の人生を豊かにすると思います。人生はバスケットボールだけじゃないので、大好きなバスケットボールを通して自分がハッピーな人生を送れることが本当の意味での「幸せの価値」だと私は思います。

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海外のチームとの契約を勝ち取ることだけではなく、女性アスリートが海外で挑戦できる道を作るため、自らが先頭を切って前へ前へ挑戦していく山田選手をATOは全力でサポート、そして応援していきます。

山田選手は、このコンバインにかかる資金を集めるため、クラウドファンディングを開催中です。今回の彼女のコンバインに対する意気込みと決意が綴られています。

頑張れ!山田選手!!

クラウドファンディングのURLはこちらから

https://camp-fire.jp/projects/view/342511

今後の山田愛選手のグローバルな活躍に乞うご期待!!

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島袋あらた(しまぶくろあらた)

1992年沖縄生まれ。16年間選手としてバスケを続け、カリフォルニア州にあるMerced Collegeでプレーをした後、現役を引退。その後自らの経験をもとに、スポーツを通して海外に挑戦する人のサポートがしたいと強く決意。現在もその情熱は途絶えることなく、スポーツマネージメント・マーケティングを勉強し、幅広い分野と角度からアスリートのサポートができるように修行中。Columbia Universityでスポーツ必須産業学の資格を取得し、活動の幅を広げている。

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