Takaaki Sakai「バスケットボールで培ってきた経験を発信、そして次の世代へ還元していきたい」

選手インタビュー第二回目は 2016 年にスラムダンク奨学金第 9 期生として渡米し、現在Saint Josephs College of Maine(セントジョセフ大学)に通う酒井達晶さんにインタビューさせていただきました。

中学時代に全国大会3位入賞、高校時代にはウィンターカップベスト 16 の成績を収め、小さいころからの夢を叶える為、卒業と同時に海を渡ることを決意。アメリカという異国の地で強い信念を持ち、常に挑戦し続ける酒井選手にアメリカでの大学生活、アメリカと日本のバスケの違い、そして今後の活動拠点についてお聞きしました。

―バスケットボールを始めたきっかけ、生い立ちを教えてください。
元々両親共にバスケットボールをしていたことや、兄もミニバスをやっていたことから、僕も幼いころからバスケットボールに興味を持ち始めました。両親からは小学 2 年生になったらチームに入っても良いと言われていましたが、とにかくバスケットボールをやりたい気持ちが強く、小学校 1 年生の終わりには兄と同じクラブチームに所属しました。中学校は全国大会 3 位の実績を持つ地元の強豪校布水中学へ入学し、中学 1 年の時から全中メンバーに選抜され、2 年次には全国大会 3 位入賞。3 年次にはキャプテンを勤め全国大会ベスト 8 に入賞しました。高校も同じく地元にある北陸学院高校へ進学しました。僕達が 1 期生だったので土台をしっかりと整えていきたい気持ちも強く、監督やチームメンバーとのコミュニケーションを大切にする事を心掛けて活動すると共に、学業面も怠らぬ様に努めました。卒業した翌年には後輩達が歴代最高成績のウィンターカップ 3 位入賞を果たし、自分達が築き上げてきた事が後輩にも受け継がれ、とても嬉しい気持ちになると共に良い刺激を受けました。実は高校進学時に他校からのオファーもあったのですが、地元をもっと良くしたいという気持ちがあり、北陸学院高校への進学を決めました。母校のチームの活躍などを見ると、今振り返っても地元のチームとして頑張っていくことを決めてよかったと思っています。

―高校を卒業して、アメリカに渡ろうと思ったきっかけを教えてください。

実は小学 6 年の卒業文集に「将来はスラムダンク奨学金でアメリカに行ってプロ選手になって活躍したい」と書いていたんです。ですが、中学・ 高校はとにかく目の前の事に一生懸命で卒業文集に書いた内容はすっかり忘れて過ごしていました。高校 2 年のウィンターカップを終えた後、スラムダンク奨学金のパンフレットをいただく機会があり、ダメ元でしたが応募しました。スラムダンク奨学金第 1 期生であり現在琉球ゴールデンキングスで活躍されている並里選手のことを月刊バスケットボールで拝見し、自分も挑戦してみたいと強く思った事も応募した理由の一つで、これをきっかけにアメリカで活動していく事になりました。

―大学生活で一番苦労したこと(プレー面/生活面)は何ですか?
やはり一番苦労したことは、言葉の壁です。『こうしてくれたらもっと上手くいくのに!』ということが、英語でうまく話せないことで相手に伝わらず、モヤモヤした気持ちになることが多かったです。プレップスクールでは最初はなかなか試合に出れない時期もあり、自分の中で葛藤はありましたが、「練習をしっかりしている選手を使う」というコーチの言葉を信じ、毎日コツコツと頑張りました。そのかいもあって、ある試合をきっかけにスタメンとして起用してもらったんです。ティップオフ後、一番初めのフォーメーションをコーチが指示する場面で自分がそのフォーメーションの確認をしていたところ、コーチの話を聞いていなかった他の選手から「そのフォーメーションは違う。タツはまだ英語がわからないと思うけど、俺の方が正しい。」と言われたんです。でも、実際には僕が確認していたものが正しかったことから、この出来事で周りからの信頼を得ることが出来ました。勿論この件だけでは無く、日々地道に練習に取り組む姿勢や言葉の壁に負けずに積極的に取り組んだ結果が、スタメンに起用していただいた大きな理由だと感じています。試合に出れない時期は一番苦労しましたが、そういった中でもしっかり自主練習に励み「いつでも準備できている」ということをアピールしていて良かったです。

―大学生活で一番楽しかったこと(プレー面/生活面)は何ですか?
バスケットボールも勿論ですが、色んな地域に訪れ、旅をしたことです。オフを利用して一人旅でロサンゼルスへ行ったり、知り合いを訪ね、ニューヨークへ行って NBA の試合観戦をしたり。他には遠征でフロリダへ行ったこともありました。メイン州での生活も勿論楽しいですが、新しい土地へ行き新しい出会いがあることは大変新鮮でした。今はパンデミックの影響もあって出掛けたりできないですが、Zoom や別の方法での新しい出会いがあったり、そういうのも良いなって思います。

―アメリカの D3 のレベルでリーグを経験しての率直な感想をお聞かせください。
プレップスクールのときにずっと D1 レベルの選手とやりあってきたので D3 だとレベルが落ちるのではないかと懸念していましたが、実際はそんなことはありませんでした。D1 や D2 のチームでプレー機会をもらえなかった選手が移ってくるリーグでもあったので高いレベルで試合ができたし、選手達は競争心が強く僕にとっては良い環境でした。実はプレップスクールから大学へ編入する際に D2 レベルの大学からオファーも頂いていたのですが期限までに必要な書類が届かず話が流れてしまったんです。正直それに関して心残りは無いといったら嘘になりますが、今の大学に進んだことに関して結果的に後悔はしていません。卒業生に元々NBA のチームでアシスタントコーチをしていて、現在はNBA 選手をクライアントに持つスキルトレーナーがいた為、その繋がりでチームは新しいタイプのオフェンス導入ができたり、他にも『バスケットボールの本質』を学ぶ機会が多くあったんです。他の大学に進学していたらこの経験は出来なかったと思います。

―コミュニケーションや文化の違いはどのようにして乗り越えましたか?またプレー中に心掛けていることは何ですか?
バスケットボールがやはりコミュニケーションの最大のツールでした。1 対 1 やシューティングなど、「一緒にやろうよ!」と声をかけ話すきっかけを作りました。日常会話に関してはまずは理解力を高めるために、まずみんながどんな会話を日常でしているのかを携帯で録音して、何を話していたのか後ほど翻訳して学びました。この質問だとこういう答えが返ってくるな、という事を繰り返していくうちに徐々にわかってきて、次第に会話が普通にできる様になりました。文化の違いに関しては、正直アメリカに行く前はアメリカ人はどういうことを考えているのか、日本人とはどう違うのかは全然想像できませんでした。実際アメリカに来てみて感じたのは人種ではなく人によって違いがあるということ。アメリカ人の国民性らしくフレンドリーで感情表現が豊かな人もいれば日本人の国民性に近い繊細な人もいて。そこで「人間性は国など関係なく存在しているんだ」と思いました。
プレー中にはコートに出ているメンバー全員がとにかくオフェンスに参加できる環境を作ることを心掛けました。 NBA 選手のレブロン・ジェームスがよく『Get involve teammates (チームメイトを巻き込め) 』 と言っているのですが、自分もそれを常に考えています。チームメイトを上手くコントロールし、ただ単に「一人がボールを持ってシュートを決める」を繰り返すようなバスケットボールにならない様に努力しています。みんながチームとして同じことを考え、共通理解が高まった上でここでシュートを打つべき選手が打つ、という考えの中で得点が入ることがチームとしてとても大事だと思うんで
す。チームメイト全員を参加させることが 5 対 5 の強みだと思いますし、それを最大限に生かすことのできる選手でありたいと思っています。

―アメリカで4年間プレーして、日本のバスケとアメリカのバスケの大きな違いは何だと思いますか?
日本の大学で練習に参加した期間はとても短いので、僕の経験をもとに感じたことを言う事しかできませんが、僕のいるアメリカでの環境と比較すると、日本のバスケットボールに対する取り組みに、だらけた雰囲気を感じる場面がありました。日本とは違いアメリカの大学バスケは、しっかりシーズンが決まっている分、毎日の練習に全力で取り組んでいます。「倒すか倒されるか」という中で全員がプレーしていて、実際に自分もそういった意識で取り組んでいました。日本は『部活』として活動しているからなのか、練習がきついからやらない人もいます。しかし、アメリカはきつくても『全員でやる』という考え方が強いです。D3 レベルだと全員がプロバスケットボール選手になろうと決めているわけではないですが、そのレベルでも毎日の練習にみんな必死に励んでいます。プライドを持って個々がぶつかり合っているのがアメリカの大学バスケの特徴です。もう一つ違うなと思った点は、日本は一人一人がこれはなんの為にやっているのかという事を考えすぎているのに対し、アメリカは『今』を全力でやってその瞬間と向き合っているという事。日本の場合は別のことを考えつつ練習をしていたり、身が入っていないと感じることがありました。やるときは全力でやりあって負けたら負け、でもそこで負けたことを引きずるんではなくて、また次プレーするときの闘争心に変えて切り替える。その考えを持って動いているのがアメリカのバスケットボールなのではないかと思います。

―酒井さんの今後の活動拠点を教えてください。
大学卒業後は B リーグでプレーすると決めています。5 年間アメリカでプレーしていて日本にいる家族や友達、応援してもらっている方たちの前でプレーするという機会がなかったので、日本でも頑張っている姿を魅せたいですし、それで人に元気を与えられたら更にうれしいです。バスケットボール選手としてだけではなく、アメリカで感じたことを日本で伝えていく事ができれば色んな人のためになるとも考えています。僕より若い年代の人達に僕が学んできたことを伝えていければ、その分彼らは更により多くの情報を学ぶ時間を作ることが出来ます。バスケットの面でいうと、より上手くなれる可能性が出てくるという事です。他にも、次世代の子たちの発信していける場所も作っていきたいです。僕に限らず、みんなが得たことをまた他の人に繋いで共有していくことが大事だと思うので。一人の人として日本に色んな事を還元していきたいです。

―今後海外を目指すことを考えている人たちへエールをお願いします。
身の周りのほとんどの人が反対してくると思います。自分も実際にそうでした。しかし “Comfortable (居心地の良い) ”に居続けるよりも “Uncomfortable (不快/心地よくない) ” な環境に身を置き色んなことを学ぶ、対応していく力をつけることは大きな経験となります。プロバスケットボール選手になりたいと思った時に、アドバンテージ(何か有利な部分)がないと絶対に生き残っていけない時代になるし、周りと同じように道を歩んでていいのかと考えたときに自分は常に違う “オリジナル” であるのだということを考えて行動をして欲しいです。同じ道を歩んでいくのなら自分が決めた道をしっかりと歩んで下さい。挑戦してみてそれでダメだった。ということは後悔よりはずっとすっきりして次に進めます。今悩んでいる人はとにかく行動に移す、実際に行ってみる事を僕は奨めます。

最後に僕から 2 つ伝えておきたいことがあります
1 つ目は英語を学んで欲しいという事。日本語よりも英語で検索した方が情報量が多いので、そういう面では英語をちゃんと学ぶということはとても大事です。実際に NBA 選手がゲーム中に話している内容や単語も覚えることも必須です。NBA 選手になりたいといったときに、選手同士の会話・コーチ達からの指示を理解できていないと NBA 選手を目指すことは厳しいです。それは B リーグでも同じで、B リーグでも外国人プレーヤーがいるので、そのプレーヤー達との会話ができるという事は必ず自分の為になります。
2 つ目は自己分析を行って欲しいという事。僕は SWAT 分析で自分の強み・弱みを知った上で何ができるのか、そして何が起こるとまずいのかという事を理解し、月に 1 回程度見直しを行っています。自分の良いところ・悪いところ・出来そうなことを書き出して、その中で実際に自分に必要なことや、やりたいことをまとめてスケジュールにする。そして1 か月後に再度見直す、といったサイクルを繰り返すことは成長にもつながります。僕は自粛期間を通してインプットを沢山して、今はアウトプットもしてます。そのアウトプットする項目の中でなぜ英語を学ぶことが大切なのか、夢を実現させるためにどういう風に考えていけばいいのかということを今後も伝えていきたいです。

残念ながらシーズン開始5日前のアキレス腱の怪我により、今シーズンは出場機会を逃してしまいましたが、それでもキャプテンとしてチームを支える酒井選手にエールを送りたいと思います。1日でも早い回復をお祈りしています。この悔しさを更なる成長のバネに…

頑張れっ!Tats!!!! Go Monks!!!!!

The following two tabs change content below.

島袋あらた(しまぶくろあらた)

1992年沖縄生まれ。16年間選手としてバスケを続け、カリフォルニア州にあるMerced Collegeでプレーをした後、現役を引退。その後自らの経験をもとに、スポーツを通して海外に挑戦する人のサポートがしたいと強く決意。現在もその情熱は途絶えることなく、スポーツマネージメント・マーケティングを勉強し、幅広い分野と角度からアスリートのサポートができるように修行中。Columbia Universityでスポーツ必須産業学の資格を取得し、活動の幅を広げている。

最新記事 by 島袋あらた(しまぶくろあらた) (全て見る)